浜田と言えば、規律が厳しい全寮制高校に通っていたことで知られる。定番の卒業ソングの話題になると「歌手が歌うヒット曲を学校で歌う!?」と驚きを込め、「そら“仰げば尊し”でしょ」と断言。「号泣しながら歌ったよ。やっと山を下りれると」と、友や恩師と別れる寂しさではなく、スパルタ教育から解放されると喜びの涙を流したという。
卒業式前日にも「消灯してから恐ろしいミッションが待ってるわけ」と告白。「ひとりずつ呼ばれて。行きよったなあと思ったら20分ぐらいしたら4人ぐらいに担がれて帰って来て、ベッドにボ〜ン!と。なんかあったんやろな…相撲でもとったんかな…。また次のヤツも連れて行かれて、担がれて帰ってきた」と回想した。
「もう絶対次俺や…“ちょっと来て”と。ああ終わった、と」と自身の番が回ってきた。行ってみれば「単純に前の年に卒業した先輩が何人か来てて。今やから言うけど、お菓子やファンタとか山ほどあって“飲め、食え。よう頑張ったなあ!”って。耐えた〜!全然ちゃう」と自身は好待遇のほうだったと振り返った。
卒業式後は「はよ帰りたい」の一心。親の迎えの車で学校を後にし、途中で食事したという。「店に座った瞬間に山ほど坊主頭がおるねん」と、同級生の多くが同じ行動。「みんながそこで家族とご飯食うて“よう頑張ったな”と」と語ると、「出所メシ」との声が飛び、「違うわ!」とツッコんだ。
高校があった三重県から地元・兵庫県尼崎市の実家に帰還。「一日、抜け殻ですよ。次の日も目覚ましかけんと寝れるやん。ぐっすりや。疲れ切ってたんやろうな。緊張感もあるやん…だらだらしてたらバーン!いかれてたから」と過酷な高校生活との落差に一気に脱力したようだ。
ライセンス・井本貴史からは「みんながしゃべりたい卒業の思い出と違う」とエピソードのえげつなさを指摘されていた。