まちゃまちゃ「母ちゃんは実家の美容室を継ぐと思ってたかも」デッドラインの23歳ギリギリで開けたお笑いの道

マイクパフォーマンス風の毒舌漫談と奇抜なヘアスタイル、ファッションがテレビ番組『エンタの神様』で注目を集めたまちゃまちゃさん(47)。親のあとを継いで美容師になるはずが…芸人の道をまい進したきっかけはなんだったのでしょう。(全4回中の1回)

実家は美容室「高校のとき自分で丸坊主にしたら母ちゃんが…」

── まちゃまちゃさんといえば、奇抜なヘアスタイルとパンクファッションがトレードマークですが、中高生の頃からいろんな髪型に挑戦されてきたそうですね。

まちゃまちゃさん:実家が美容室をやっていたこともあって、昔から髪型にはこだわりがありましたね。小学生の頃は、美容師の母ちゃんに髪を切ってもらっていたのですが、中学生ぐらいからは、刈り上げたり、染めたりと、自分の好きにやり始めたので、母ちゃんがリクエストに応えてくれなくなって。だから、見ようみまねで自分でやっていました。

中学時代のまちゃまちゃさん中学時代のまちゃまちゃさん。すでに髪型にこだわりが

高校のときにはじめて丸坊主にしたのですが、当初は「なんだ、その頭!」なんて文句を言っていた母ちゃんも、時が経つにつれて、色とかどうでもよくなってきたらしくて。ちょっと毛が伸びてきただけで、「お、いい感じだな!」なんて言い始めたんです。奇抜な頭もやり続けていれば、けっこう親も騙せるもんだなと(笑)。

今も、髪の毛をいじるのは好きですね。月に1回ペースで美容室で染めますが、伸びてきたら自分で染め直したり、カットしたり。ちゃんとしたハサミがないから、キッチンばさみで切ってます。

高校時代のまちゃまちゃさん丸坊主がお似合い!高校時代のまちゃまちゃさん

── キッチンばさみとは、また豪快な(笑)。

まちゃまちゃさん:けっこう切れ味がいいんですよ。ただ、美容室の娘としては、「母ちゃんに申し訳ないな」という気持ちも多少ありますけど。

母ちゃんは、美容師だけあって、たとえ病気でお風呂に入れないときでも、髪だけはきちんとセットして化粧もしていました。私も毎日、髪のセットとメイクだけは必ずしますが、そこは母ちゃんの影響かな。

バンドの追っかけから芸人の道へ「人を笑わせるのが楽しくて」

── 学生時代は、バンドの追っかけをしていた、いわゆる「バンギャ」だったとか。

まちゃまちゃさん:音楽好きでパンクにハマり、中学時代から、地元の千葉から東京のライブハウスまで観に行っていました。高校生時代は、週末に行くライブに命をかけていて、金曜日になると授業中にマニキュアを塗りだすようなヤベエやつでした(笑)。

バンドの追っかけをする中学時代のまちゃまちゃさんバンドの追っかけが生きがいだった中学時代

── お笑いに目覚めたのも、その頃ですか?

まちゃまちゃさん:もともとお笑いは大好きでしたが、自分でネタを考えはじめたのは、高校に入ったあたりからですね。授業中にネタを考えて、学校の友達やバンドの追っかけ仲間にそれを見せたりして。みんなに笑ってもらえることが嬉しかったんですよ。

バンドの追っかけと並行して、お笑いのライブにも通い出すようになりました。当時、ペナルティさんが大好きで、初の単独ライブにも行き、前から2列目で食い入るように見ていましたね。

── お笑いのオーディションを受けたのは、高校3年生のときだったそうですね。きっかけはなんだったのでしょう?

まちゃまちゃさん:お笑いをやってみたいという気持ちはあったものの、ちょっと躊躇していたんです。どうやら大阪に吉本のお笑い養成所があるらしいけれど、もちろん大阪に行くほどの貯金はなくて。そしたら友達が、「焼肉おごるから、オーディションに出てよ!」って。当時、千葉駅前にあったPARCOでやっていたお笑いオーディションを見つけてきてくれたんです。3回勝ち抜くと、吉本の舞台に立てるシステムで、2回合格したのですが、3回目のオーディションのお知らせがいっこうに来ない。だから、「どうなってるんですか?」って吉本興業に直接電話したんですよ。

お笑いを始めた頃のまちゃまちゃさんお笑いのオーディションを受け始めた頃

── 度胸がいい!

まちゃまちゃさん:何も知らない高校生だったからできたんでしょうね。今なら無理です。同じ情熱があったとしても、いろんなことを考えてしまいますし。それだけ大人になっちまったんでしょうね。

実は当時、東京にNSCができて一期生がスタートしていたらしいのですが、それを知らなかったので、「このチャンスを逃したら芸人になれないかも」という焦りがありました。ちょうど進路を決める時期だったし、こうしている間にも若手がどんどん出てきて埋もれてしまうんじゃ…と不安もあって必死でしたね。

それに、周りの友達が「大きい舞台でやっているところが見たい!」と応援してくれて、すごく嬉しかったんです。だから、みんなの期待に応えたいという気持ちもありましたね。

私以外の参加者からも問い合わせがあったようで、その後、無事3回目のオーディションが開かれ、吉本興業に入ることができました。

「23歳までに売れなかったらやめろ」ギリギリでテレビに出演

── 親御さんは、お笑いをやることに対してどんな反応でしたか?「美容室を継いでほしい」という思いもあったのでは?

まちゃまちゃさん:そのつもりだったと思いますよ。中学生ぐらいからハサミを握って自分で髪をいじる私を見て、母ちゃんは嬉しかったみたいです。だから、どんな奇抜な髪型しようと、「まあいいか」と許してくれていたんでしょうね。

私自身も、当初は美容師になるつもりでした。でも、高校で進路を決めるとき、美容専門学校の推薦試験に落ちてしまって。親に隠れてオーディションに出ていたけれど、やっぱり子どもの嘘なんてすぐバレるから、「お前、どうやらお笑いのオーディションを受けているらしいな」と親父に言われて…。

「え?なにそれ〜?」と、とぼけていたら、親父が「やれるだけやってこい!」と。母ちゃんは、「あの子のことだから、どうせすぐ諦めて戻ってくるだろう」と思っていたみたいです。ただ、一応タイムリミットがあって、「23歳までに売れなかったら、やめて戻ってこい」と言われていました。

デビュー当時のまちゃまちゃさんデビュー当時のまちゃまちゃさん

── 見守ってくれていたのですね。

まちゃまちゃさん:結局、タイムリミットギリギリの23歳のときに、初めて深夜番組に出たんです。『極すれすれガレッジセール』というガレッジセールさんの番組で、ヤンキーと喧嘩するという内容だったのですが、「ウルフ神崎」というキャラクター名で出演していました。ちなみに、一緒に出演していた森三中の大島さんのキャラクター名が「日本海」。けっこう深夜族に人気があったのですが、親が見ている時間帯じゃないから、言わなかったんです。

ただ、田舎なので「どうやらパール美容室の娘さんがテレビに出てるらしいわよ」と話が駆けまわって。実家に帰ると、「近所の人に頼まれたんだよ〜」と、親がサイン色紙を用意して嬉しそうに待っていたことを思い出します。

PROFILE まちゃまちゃさん

芸人。1976年生まれ、千葉県出身。吉本興業所属。1996年にピン芸人としてデビュー。2005年に『エンタの神様』(日本テレビ系)に初出演し、女子プロレスラーのキャラクターで「摩邪」としてブレイク。現在は、芸人とスナックママとの二足のわらじ生活。

取材・文/西尾英子 画像提供/まちゃまちゃ

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