元グラドル女子レスラーまなせゆうなの葛藤 体型に悩む中でもらった金言「そこが武器だろ」

目次

2・23横浜ラジアントホールで1年1か月ぶりの復帰を果たすまなせ

 ヒザの手術で長期欠場していたガンバレ☆プロレスのまなせゆうなが、2・23横浜ラジアントホールで1年1か月ぶりの復帰を果たす。欠場中は女子部のGM(ガンバレマネジャー)として団体を支えてきたまなせ、復帰が決まったと思ったら団体がサイバーファイトから3月末をもって完全独立となることが発表された。プロレスデビューから10年の節目にきて、ここから先も波乱の予感。と同時に、ここからが彼女の“本領発揮”となるのかもしれない。

 そもそもまなせは、17歳のときに始めたグラビア活動から人前に出る仕事にかかわるようになった。それも、ほんの偶然。新体操をやっていたがケガで選手を断念し、これからどうしようかと考えているときだったという。

「千葉駅をバイトに向かって走ってたら、おばちゃんに声をかけられたんです。迷子にでもなったのかなと思い、『大丈夫ですか?』と尋ねてみたら、俳優事務所のスカウト。『芸能活動するなら何してみたい?』と聞かれたので、『自分のファンの人と握手してみたいっすかねえ』と答えました(笑)。興味もなく、その場は急いでたので、『バイトなんでもう行きます』と言って別れたんですけど、その頃はバイトするか海で遊ぶかくらいしか考えてなかったので、後日いただいた連絡先に連絡してみました。そこからグラビアのお仕事をいただくようになったんですね。新体操でレオタードとか着てたから、水着も抵抗なかったです(笑)」

 当時はグラマー系のモデルが人気で、予想以上の仕事が舞い込んできたという。しかし、しだいに傾向が変化し、いまひとつのれない仕事も増えてきた。

「ゆうこりん(小倉優子)のように細くてかわいい子が人気になって、私も『なんとか星から来ました』みたいに言えって、ゆうこりんみたいなキャラを作らされました。千葉県民だから『落花星から来ました』って言ってましたよ。フリフリの衣装で、似合わねえんだろうなって思いながら(笑)。私は稲毛海岸のビヨンセになりたかったのに!」

 仕事が減少する中、どうせなら好きなことに挑戦しようと思い、アクション映画が好きなまなせは、アクション女優への道を模索し始めた。稽古を重ねる中で、アクションものではないが舞台出演のチャンスを得た。その舞台で知り合ったのが、アクトレスガールズを旗揚げする坂口敬二代表だ。

「その舞台ではパリコレのモデル役だったんですけど、坂口さんから『プロレス題材の映画をやるんだけど、キミはいい骨格をしてるからどう?』と言われて、役作りの意味でスターダムで練習を始めたんです」

 ところが、映画の話は立ち消えに。それでも、まなせはスターダムでの練習を継続させた。プロレスへの興味が日に日に増していったからだ。

「最初、『プロレスやったらハリウッドデビューもできるよ』って坂口さんに言われたんですよ。『ゆうなの好きな「ワイルド・スピード」シリーズにロック様も出てるだろ』って。私はチャーリーズ・エンジェルになりたくて練習を続けていたら、プロレスがおもしろくなってきました。最初は怖いイメージでしたけど、風香さんがメッチャかわいいなと思って」

 そして、2014年1月12日スターダム新木場大会で、宝城カイリ(現カイリ・セイン)を相手に愛星(まなせ)ゆうなのリングネームでプロレスデビュー。

「デビュー戦のことは、その日の朝からいまでも鮮明に覚えています。カイリさんのチョップがすごく痛かったこと、逆エビで死ぬかと思ったこと。カイリさんは一番近い先輩でいつも優しいんですけど、試合になるとこんなに厳しいんだって。試合後には『始まったね。これから大変だけど絶対に楽しいからあきらめないで一緒にやろう』と声をかけられました。その言葉で私、デビューしたんだ、プロレスラーになったんだと実感できました」

 2戦目で早くも初勝利を挙げ大きな期待がかけられていたのだが、3月末に鎖骨骨折で長期欠場を強いられる。スターダムでは結局15試合をこなしたのみで、15年3月に退団した。しかし、同年5月31日にアクトレスガールズの旗揚げで復帰。その日がデビューの新人に囲まれ、唯一既存のレスラーとして参戦した。同時に、新人たちを指導する立場が与えられていたのである。

「デビュー2年目で教えられることなんてないんですけど、自分が持ってるすべてを伝えようとしましたね。先輩から教えていただいたものだったり、自分でもプロレスの本をたくさん読んだりして、すごい勉強したんですよ。この子にはこういう技、動きが合うかなと思って、付箋張りまくって色分けして。みんなすごくいい子で、この子たちのためなら何でもやれると思ってやりました」

 安納サオリ、万喜なつみ(現なつぽい)、角田奈穂、本間多恵、尾﨑妹加らが、まなせの指導を基にリングに立った。レジェンドレスラーの堀田祐美子がアドバイザーに就任すると、一応の役割を終えたまなせはブランクの間にプロレスのコスチュームやグッズ製作を学び、DDT関係者と知り合ったことから東京女子プロレスに戦場を移すこととなる。

 東京女子では試合数が増え、経験値が格段にアップした。DDTの別ブランドにも出場し、とくに19年4・14王子での“ぽっちゃり女子プロレス”参戦が大きなターニングポイントになった。東京女子レギュラー参戦以降、ぽっちゃり化が加速していた、まなせありきのブランドだ。

「ここで初めて男子レスラーとシングルで対戦。今成さんとの試合で初めて、私が応援してもらえる試合と出会ったんですよ!」

抱く野望「“ガンバレ”を世界共通語にしたい」

 東京女子では充実も、アイドル系選手の引き立て役に甘んじているのではないかとの葛藤もあった。たとえ体重を15キロ絞ったとしても、ぽっちゃり系のキャラクターは変わらなかった。半ば開き直っていた頃、彼女の体型こそが大きな武器と悟らせてくれたのが、今成夢人と石井慧介だったという。

「東京女子っぽくないことが悩みだったんですけど、『そこが武器だろ』と教えてくれたのが今成さんで、『腕が太いんだからラリアットを使いなさい』とアドバイスしてくれたのが石井さん。そこからプロレスが楽しくなりましたね」

 東京女子へのレギュラー参戦を終えると、20年7月には男女混合のガンバレ☆プロレスに入団。ここで彼女は、現時点でキャリア最大の試合を体験する。22年10・2板橋における男子ヘビー級外国人レスラー、ハートリー・ジャクソンとの一騎打ちだ。

 この試合で、まなせは文字通りの玉砕。しかし、その闘いは多くのファン、関係者の心を揺さぶった。ガンプロの精神を全身で体現したのが、女子選手のまなせだったのだ。

「私はプロレスに男も女も関係ないと思ってるんですけど、やはり130キロと75キロは違った(笑)。私、なにもできなさすぎて、いまだにあの試合を見直せないんです。でも、『こういう試合をするから、まなせゆうなはガンプロなんだ』って言われるんですよね。女としてもやられっぱなしだし、闘いきれてない。それでも誰かの勇気になるんだったら、やってよかったかなと思ってます」

 ガンプロでは男子選手との試合も多く、闘いを重ねるうちにヒザが悲鳴を上げていた。そして、昨年2月から長期欠場。まなせの不在からガンプロの女子部、ガンジョの存続が危ぶまれた。が、このときはYuuRIと長谷川美子の決起により、まなせのいないガンジョが再スタート。まなせの復帰も決まったのだが、ガンプロの独立が発表された。4月からはサイバーファイト傘下ではない、完全独立団体としてのガンバレ☆プロレスがスタートする。

「私には寝耳に水の発表でした。とはいえ、大家(健)さんが独立の選択をして、勝村周一朗さんたちがみんなの居場所を残すためにいろいろ動いてくれてる。そういうのを見てると文句言ってられないし、こっちもやってやるか!って感じですね。ガンプロをここまでしてくれたのはサイバーファイトであり、高木(三四郎)さん。将来、高木さんがガンプロを見にきてくれたときに、『楽しそうだな』と言ってくれるような団体にしたいですね」

「ガンプロの家族になりたい」と言って入団を決めたまなせ。その思いは今も変わりがないという。むしろ復帰と団体の独立を前に、大きくなっていると言えるだろう。そして、彼女には大家に負けないような大きな野望がある。

「日本には“カワイイ”って言葉があるじゃないですか。これって世界共通語になったんですよ。私、プロレスを通じて“ガンバレ”を世界共通語にしたいんですよね」

“ガンバレ”とは非常に訳しにくい言葉である。日本語には、ほかに“よろしくおねがいします”など、ストレートに翻訳しにくい言葉があるが、“ガンバレ”もそのひとつ。状況によって、「goodluck」「go for it」「keep itup」「hang in there」など言い方があり、すべての意味は異なっている。それをひとつにまとめたいというのが、まなせの目論見だ。

 考えてみれば、海外のプロレス界では、日本のプロレスがprofessional wrestlingではなく「puroresu」、女子プロレスの女子が「joshi」として認知されている。それだけに、ガンバレが「ganbare」の一語で通じる日がやってくることは、決して不可能ではないのである。新井宏/Hiroshi Arai

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね♡
URLをコピーする
URLをコピーしました!

この記事を書いた人

アフィリエイター初心者です!よろしくお願いします。

目次
閉じる