訃報を知った瞬間、完全に気力が無くなった
「本当にショックを受けています。八代亜紀さんが亡くなったなんて、まだ信じられない状態です。突然過ぎて……」
こう話したのは日本に住む世界的なギタリスト、マーティ・フリードマン。9日に八代亜紀さんが昨年12月30日に急速進行性間質性肺炎のため亡くなっていたことが発表された。
訃報が流れた2日後に話を聞きに行くと、明らかに憔悴した表情で現れ、力無く言葉を絞り出した。後述するが、八代さんはマーティのギタープレイ、さらには人生にも大きな影響を与えた存在だった。日本に住むことになったきっかけも、遡れば八代さんだ。
訃報を聞いた時、マーティは何をしていたのか。
「僕の新しいアルバムがトラックダウンの段階で、アートワークの確認もあったり、細かい作業が非常に多くて、本当にハードに仕事をする日々が続いていました。あの日、ヘアメイクさんから『八代さんが亡くなった』と連絡がきて、それを見た瞬間に僕は完全に落ちました。
体からエネルギーが抜けて、それ以上作業を続ける気力が無くなり、何も手につかない。いろんなことが『もうどうでもいい』と思いました。そして泣きました。八代さんともう会えない、共演する日は二度と来ない……。この気持ちを僕は言葉にすることができません。日本語でも英語でも」
ハワイで聞いたラジオから八代さんの歌声が
マーティが泣くほどショックを受けたのには理由がある。実はマーティにとって八代さんは、ギタリストとして成長するきっかけを与えてくれ、日本に導いた張本人だった。今でこそ流暢に日本語を操るマーティが、まだ日本語にも日本にも全く興味がなかった頃の話だ。
「僕がまだティーンエイジャーで、ハワイに住んでいた時です。ハワイは日系人が多いから、日本の曲がラジオでよくかかっていたんですね。ラジオを流していたら、八代さんの歌がかかり、僕の心に突き刺さったんです。
知らない国の知らない歌手、知らない言葉の歌なのに、寂しい感情が伝わってくる! これはなんなんだ! これを自分のギターに取り入れて演奏したい! そう思って僕は八代さんの歌を分析しました。ノートの伸ばし方、言葉の刻み方、間(ま)、ビートの使い方、溜め方などを自分のギタープレイに取り込んだんです。八代さんは僕の音楽的アイデンティティ、原点といえる存在です」
その後、マーティはジェイソン・ベッカーと組んだバンド「カコフォニー」を経て、1990年にバンド「メガデス」へ加入。マーティ在籍時にメガデスは最盛期を迎え、世界的な人気バンドになる(99年に脱退)。
影響を受けた本人の前でプレイ「ここは天国?」
八代さんの歌をきっかけに日本を知り、興味を持ったマーティは、カコフォニー在籍時に初来日し、この時の経験からすっかり日本が好きになった。独学で日本語の勉強を始め、2004年に東京へ移住。以後、日本を拠点にして世界に向けた活動を続けている。
八代さんとは2006年に伝説の深夜番組「ヘビメタさん」で初共演。マーティがヘビーメタル調にアレンジした「雨の慕情」や「舟唄」を八代さんが歌った。この時、本番前の打ち合わせで忘れられない経験をしたという。
「椅子に座って、僕の斜め前、すぐ近くに八代さんが座っていて、僕が『こんな感じでどうですか』とギターを弾いたら、八代さんがそれに合わせて自然な感じで歌ってくれたんです。その歌声を聴いた瞬間、鳥肌がバーンと立ちました。歌声があまりにも素晴らしかったんですよ。僕は日本でも海外でも、いろんなボーカリストと演奏してきましたが、鳥肌が立つなんて後にも先にもありません。八代さんだけです」
以後、八代さんとは度々共演し、レコーディングも共にしている。13年にはシングルとして発売された「MU-JO」という曲を提供した。
「曲を提供できたのは、考えられないぐらい嬉しかったです。レコーディングのギターダビングの時も、すぐ近くに八代さんが座って、僕がソロを弾くとすごく喜んでくれて、その姿が本当にかわいいからキュンときてました。そもそも僕のギターフレーズには八代さんの影響がまんま入っています。八代さんと同じスタジオに入って、八代さん本人に向けて、八代さんの影響が入ったフレーズを弾く……。これ、どういう世界なの? 僕は天国にいるの? と信じられない思いでいっぱいでした」
人の感情を歌声でコントロールできる
実はマーティ、八代さんとの共演に感激するあまり、不思議な体験をしたことがあるという。“幽体離脱”したというのだ。
「13年に一緒に『LOUD PARK 13』に出た時です。僕は八代さんの横で演奏していたんだけど、八代さんと並んで一緒にやっている姿を客席側から見たいと思ったんですよ。だってこんな機会、そうないから見逃したくないじゃない。そう思っていたら、手は自動的に演奏して、魂のようなものが僕の体から抜け出して、客席側から見ていました。“幽体離脱”っていうんですか。だから僕の記憶には、客席側から見た僕と八代さんの姿がバッチリ残っているんです」
このようにマーティのギタープレイばかりか人生まで変えた八代さんの歌声。改めて何がどういいのか、マーティに解説してもらった。
「低音だけど女性らしさ、セクシーさもあります。品もいい。そして優しいんです。お母さんが赤ちゃんに子守唄を歌っているような優しさがあります。あの歌声には八代さんの人間性がそのまま出ていますよ。初めて聞いた時に優しい人だろうなと思ったんですが、その後、何度も会って、優しいしやっぱり人間性と声がマッチしていると思いました。
それにボーカリストとしての武器、技をたくさん持っています。お客さんやその場の雰囲気に合わせて、一番良いものを無意識に組み合わせて歌い、お客さんを感動させられるんです。彼女はきっと、お客さんを泣かそうと思えば歌で泣かすことができます。人の心に届き、感情を歌声でコントロールできる、それぐらいの技術を持っています」
彼女が残した作品は国宝になってもいい
また他の演歌歌手と違う、独特の歌い方をしていたという。
「ビートの刻み方、間、溜め方、どれも他の人と違います。それにいわゆる伝統的な演歌のスタイルに、2つ、3つの違う成分が入っていて、だから歌声を聞いた瞬間に八代さんが歌っているとすぐわかります。あんな歌声は他に聞いたことがない。世界にふたつとありません」
実際、八代さんの原点は父親の歌っていた浪曲であり、クラブ歌手時代にはジャズやシャンソンも歌っていた。2010年代にはジャズアルバムも発売している。そうした要素も八代さんの歌に表れていることを、マーティはしっかり見抜いていた。
八代さんが残した楽曲について、マーティは「彼女の歌は一時的に流行って終わり、というタイプではありません。これからもずっと聴かれ続け、そして彼女のことを知らない世代がその素晴らしさを“発見”して永遠に聴かれていくでしょう」と語る。
さらに「彼女の歌声は神様が与えたもの。残した作品は国宝になってもいいと思います」とも。
八代さんの歌は、永遠に生き続ける。
華川富士也(かがわ・ふじや)
ライター、構成作家、フォトグラファー。記録屋。1970年生まれ。長く勤めた新聞社を退社し1年間子育てに専念。現在はフリーで活動。アイドル、洋楽、邦楽、建築、旅、町ネタ、昭和ネタなどを得意とする。過去にはシリーズ累計200万部以上売れた大ヒット書籍に立ち上げから関わりライターも務めた。
デイリー新潮編集部