■芸能活動に積極的でなかったデビュー当時
「(スカウトを)断り切れなかった…」と14歳で芸能界デビュー当時を振り返る広瀬は、林先生から「(芸能の仕事を)そんなにやる気はなかった?」と聞かれると、「そうですね、最初は…。すごい半泣きしながら東京に行ったのを覚えています」と打ち明けた。
デビュー前までは、中学校のバスケットボール部で活躍した。「バスケを本気でやっていたので、バスケの方がやりたくて」という広瀬。「最初は『バスケに影響しない程度でやろう』っていう約束だったんです」と明かすが、初めて決まったCMの仕事がさっそく一番大きな試合とかぶってしまい、試合には出られなかった。
「影響ありまくりじゃん!って大号泣して…。実家で怒り狂っていました」と振り返り、「(将来は)バスケの監督になりたかったので。余計に芸能の仕事が好きになれなかったんです」と語った。
■広瀬すず、24歳の“結婚願望”は?
そんな形で始まった芸能活動だったが、ドラマや映画の現場を経験し、同年代の俳優たちと接する中で、持ち前の負けん気に火がついていった。
「私、絶対完璧にして(撮影現場に)行きたいタイプなので」という一方で、膨大なせりふは全部、前日に覚えるという。「開いたページが写真みたいに頭に残るんです。途中で頭の中で写真を思い出して、(せりふを)忘れても続けられる時があります」と驚きの記憶力を明かすと、スタジオメンバーからも「天才だ!」の声が上がった。
多忙を極めるが、林先生から「結婚については?」と聞かれると「したいです」と即答。「10代の時は“20代のうちに結婚する”と思っていて。もう(24歳なので)私の計算と合わなくて。何年かお付き合いして、何年か同居して、またそこから考える時間もあるじゃないですか。そしたら(20代のうちに)間に合わない」と、慎重な一面ものぞかせた。
■「自分発信の感情が湧いてこない」
林先生に「今だから語れる“挫折”は?」と問われると、広瀬は「まさに今ですね」と驚きの一言。「自分発信の感情が湧いてこないんです」「(相手を)見ているんですけど立体的にならなくて。生っぽくない」「自分から機械のように言葉が出てくるのが気持ち悪くて」と、ここ2〜3年ほど感じているという苦悩を打ち明けた。
それが、公開中の映画「流浪の月」の撮影では「やっと少し、相手の感情も久々にある程度まで感じられるようになった」という。
もともと広瀬は、吉永小百合が「心から演じている気持ちがすごく伝わってくる」と絶賛する演技力の持ち主。林先生が「表現者としてレベルがぐんと上がったからこその悩みなのでは」と指摘すると、「どうしようって思うんですけど…。たぶん、人生経験が少ないなと思って。14歳から仕事をしていて、就職の感覚も知らないし、高校受験もあまり知らない。その中で自分で道を選ぶより、人に導いてきてもらった実感の方が多かったので」と、率直な思いを語った。
今大切にしたいのは「頑張らなくていいよ」というメッセージ。それは、これまで頑張って高いレベルの要求に応え続けてきた広瀬の飾らぬ思いだろう。インタビューを終えた林先生は「なんとかこの壁を乗り越えて、よりすてきな“広瀬すず”になってほしいなって心底思いましたね」としみじみ語った。