真矢ミキ「記念受験といったら大変失礼ですけど」宝塚歌劇団・花組トップまでの経緯を振り返る

真矢ミキ「記念受験といったら大変失礼ですけど」宝塚歌劇団・花組トップまでの経緯を振り返る

「dip 年齢入力任意化 35万件突破&本部長就任発表会」に出席した真矢ミキ

(日刊スポーツ)

女優真矢ミキ(59)が、宝塚時代を振り返った。

5日、都内で行われた、「dip 年齢入力任意化 35万件突破&本部長就任発表会」に出席。本部長就任にちなみ、自身の巨大履歴書が登場した。「性格的にも人生を振り返らないので、こういう人生を歩んできたんだなと思いますね」としみじみと話した。

まずは「大阪府豊中市が一番長い(転勤族)」と書いた出身地の話題に。「宝塚には15歳で入るんですけど、それまでに8回引っ越しました。中には成績表を見たことがない学校もありました」と転勤族だったことを明かした。そのため荷造りは慣れているといい「1時間ぐらいあれば海外旅行4泊、5泊ぐらいは簡単に詰められますよ」と意外な特技を明かした。

学歴欄の最初の行は「1979年 宝塚音楽学校入学」。これについて「母が神奈川の女学校を出ていたんですけど、当時はテレビも普及されていなくて生の舞台を見るのが主流だったんですよね。なので娘が生まれたら宝塚に入れようという頭だったんです」と説明した。しかし、真矢自身は興味がなかったといい、初めて宝塚の舞台を見に行った時も「全然はまらなかったんですよ。二部からは動物園に行きたいって言っていました。おてんばだったんです」と明かした。

そんな中での受験のきっかけは「母に納得してもらうというか、記念受験といったら大変失礼ですけど…」と母の思いをくんでのものだったという。それでも合格し「肩に力が入っていなかったのが可能性に見えて頂いたのかなと思います」と自己分析した。

その後「1981年 67期生として宝塚歌劇団に入団」。入団当初は「食堂のプリンが美味しいなって。日に日に太っていて、プロ失格のスタートでした」と笑いながら振り返った。それでも「元気だけは一番で。トップさんのおこぼれスポットに長く入って怒られたりとか。やる気がありすぎて注意を受けたことはあります。そういう意味では舞台は向いていたのかもしれないです」と振り返った。

そして1995年に「エデンの東」で花組トップになった時については「毎日2500人という集客を、2回公演が多いので5000人ですか。動員できるかの責務と私だけが頑張ってもダメだということを教わりました」と話した。「よく若い子にどんどん提案して欲しいなって言っていました。トレンドを知っているのは若い子なので。今のはやりが何かとかどんどん教えてって。私はそういうトップでした」と語った。

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね♡
URLをコピーする
URLをコピーしました!

この記事を書いた人

アフィリエイター初心者です!よろしくお願いします。

目次
閉じる