【追悼】上島竜兵さん 33歳でレギュラー5本だった頃 恩人「志村けんさん」との秘蔵フォト

 上島竜兵さん(61)の突然の死が日本中に大きな衝撃を与えている。得意の芸の披露もままならない状況、あるいは志村けんさんの死など、背景を推測することは可能だが、本当のところは当人にしかわからないところだろう。

 上島さんらダチョウ俱楽部といえば、数々の罰ゲーム、熱湯風呂等々、「体を張った芸」が代名詞だった。そんな中で、痛みや熱さを伴わず、体を張った仕事として、彼らが挑んだものがあった。今から28年前、1994年の「24時間テレビ」(日本テレビ)における「24時間100キロマラソン」だ。在りし日の上島さんを偲び、当時の記事(「FOCUS」1994年8月24日号)を抜粋して紹介しよう。

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 東京で史上最高(当時)の39.1度を記録した8月3日午前10時、ジリジリと身を焦がすような日差しの小金井公園で3人はストレッチ体操をしていた。

 当時の年齢は、寺門ジモンと肥後克広が31歳で、上島さんが33歳。

 100キロマラソンに挑戦するため、メンバーは別々に自主トレを重ね、この日が最終の合同練習だった。取材へのコメント自体がコント風になっているのは、彼らのサービス精神ゆえだろうか。

「俺は本当に練習してるよ。毎日15キロ走ってる」(寺門)
「練習はつらいけど、最近、練習休むと精神的に気持ち悪いんだよね」(肥後)
「俺は30分くらいしか走ってない。それも毎日じゃない。練習休むとね、このままずっと休みたいなーと思っちゃうんだよ」(上島)

 1時間後、約8キロ走ってトレーニングを終えると、

「俺、元気だなー。一番元気」とはしゃぐ寺門に対して、
「つらい。出来ればドーピングしたい」(上島)。

 昼食後、この言葉通り、30分程で上島さんは両足がつってダウン。予定の15キロを走り切った他のメンバーに「お前、ちゃんと練習しろよ」と怒られると、

「イタタタタ。迷惑かけてすみません」(上島)

 当時のマラソン指導者は、「完走できるかどうかは竜ちゃん次第。24時間、歩き通すと考えても、竜ちゃんの完走できる確率は数パーセント」と言っていたが、本番ではメンバーとともに見事完走を成し遂げている。

 さらにマラソンの翌日には、現在の夫人と寿司屋でデートしている様子を同誌にキャッチされていた。レギュラー番組5本と売れに売れているだけに、「張り込み」の対象になっていたようだ。所属プロのお笑いライブで知り合ったという彼女が、せっせと上島さんに水割りを作ってあげている様子が記事では描かれている。この数か月後、彼らは結婚式を挙げることとなる。

 その後も人気は衰えず、志村さんやビートたけしはじめ数々の大物たちにも愛された。もちろん多くの国民に愛される存在だったのは言うまでもない。

デイリー新潮編集部

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