司会の黒柳徹子から、「お二人が10代で出会った時、ヘレンさんは吉本(新喜劇)の何と言っても先陣切ったマドンナで。きよしさんは通行人」と紹介されると、きよしは「通行人Aです。Bが坂田利夫さん」と明かした。
「1日の間に会話を交わすのは、本当に“おはようございます、ヘレン姉さん”“お疲れさまでした、ヘレン姉さん”って帰るだけです」と説明。ヘレンは当時のきよしについて「先輩のお手伝いを良くしまして、“ちょっと何かを買うてきて”ってどなたかにおっしゃったら、すぐに手を挙げて“はい”って出かけて、お買い物して来てましたです」と語った。
初めてお互いを意識したのは、電車で会った時という。テレビの仕事を終えて電車に乗り込んだヘレンと偶然会ったきよしは「パッと見た時に、かわいい、きれいな人やなあって。それまでは遠くでは見てたんですけど」。するとヘレンはきよしの顔を見て、「けったいな人やな」と言ったといい、「えらい目が大きいなあと思いましてね。目をずーっと近くで見たら凄いなあと思いました」と回顧した。
2人が急接近を果たしたのは、ヘレンがへんとう炎になったためっだったとし、「高熱が出まして。ちょうど劇場で熱が高くなってきまして」とヘレン。演出家が「誰か近くの(家の)者がいたら、ちょっと横にさせてやってほしいな」と話したところ、「はい、うち近いです」と名乗り出たのがきよしだったとした。
そうしてヘレンを休ませようと家に連れて行くと、「両親はびっくりですよね。いつもテレビで見てるヘレンさんが来るわけですから。まるで浦賀沖にペリーが来たような」ときよし。ヘレンは「でも本当に気持ち良く、“横になったらええわ”って言うて、寄せてもらいましたし、お父さんもお母さんもお姉さんも皆さん出て来てくださって、“大変ですねえ、横になってください”って言うて、本当に気さくで優しく“早く上がってください”って言ってくださって」と話し、家族の対応ぶりに「なんでしょう。涙が出ると言うか、温かさに。それでお姉さんたちが“大丈夫ですか、大丈夫ですか”って声をかけてくださって。主人は部屋入ったところで、ずっと正座してはりましたです」と振り返った。
そうしてヘレンはその後、「お姉さまたちと仲良くしていただいて。そして“うちにいつでも遊びに来ていいよ”っておっしゃってくださって」きよしの家によく遊びに行くようになったとした。
そうしてきよしとも親しくなっていったというが、吉本興業では「職場結婚はダメでしたし」ときよし。ヘレンは「やはりそれは口に出すことはいけないことだったと思いますけど、それより先に恋心の方が強く出てしまいましたんです」と笑ってみせた。
黒柳が「ヘレンさんの方がプロポーズをなさったんですって」と明かすと、きよしは「“こんな私で良かったら、お嫁さんにしてくれませんか?”って言われて。“えーっ、えーっ”って。まず親に相談しないとって」と回想した。
黒柳が当時もヘレンの方が有名だったのかと尋ねると、きよしは「ええそうです。お金のこと言ったらなんですが、(ヘレンが)約20万円ぐらい収入があるような時に、その頃僕2万円なかったですね。10倍以上」と格差婚であったと告白。
黒柳が「それできよしさんの給料で生活しますと」と語ると、ヘレンは「はい。頑張ってもらいたいと思いましたし、きっと私を幸せにしてくれるやろなっていうその意気込みがね、本当に意気込みがぐっとこれがあるんですね。若い頃から。だから私はその背中を見て頼りにして、朝、一緒に暮らし始めました時には必ず、“きっといいことがあります、きっと一つずつ上がっていけますよ”って毎日言いました」と励ましていたと語った。