シンボルはドイツ製コントラバスの名器、愛される地方オケ「山響」が50周年

 東北初のプロオーケストラ・山形交響楽団(山響)が今年、誕生から50年を迎えた。全国の他の地方楽団に比べて、小規模な地域を拠点としながらも、半世紀にわたって親しまれ続けてきた秘密を探る。

 4月16、17日に山形市双葉町の山形テルサで開催された、山響の第300回記念定期演奏会。山響の生みの親で、創立名誉指揮者の村川千秋さん(89)と、常任指揮者の阪哲朗さん(54)が指揮台に立ち、50周年イヤーの幕開けを華々しく飾った。

 村川さんは、得意とするフィンランドの作曲家・シベリウスの交響詩を指揮。時には軽快に、時にはダイナミックに体を揺らしながら、年齢を感じさせない動きで演奏をまとめ上げた。ドイツの歌劇場で経験を積んだ阪さんは、山響では初となるR・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」で指揮棒を振り、観客を魅了した。演奏後、村川さんと阪さんは手を上げて鳴りやまない拍手に応えた。

 家族と鑑賞した、県立山形東高1年生(15)は、「演奏の盛り上げ方がすばらしかった。遠くに行かなくても、身近でレベルの高い音楽が聞けて恵まれている」と笑顔だった。

 山響は、村山市出身の村川さんが「故郷の子供たちに本物の音楽を聴かせたい」という思いを各方面に呼びかけ、約1年かけて1972年に設立。以来、生のオーケストラ演奏を県内各地に届け、幅広い県民に愛される楽団になった。

 国内のプロオーケストラ38団体が加盟する日本オーケストラ連盟(東京都)によると、山響は、全国のプロオーケストラの中で最も人口の少ない山形市(人口約25万人)を拠点とする楽団だ。同連盟の桑原浩事務局長は「人口が少ない地域は一般的に、オーケストラに興味を持つ人や自治体からの補助金も少ない傾向がある」とする一方、「山響は演奏会の観客も多く、よく成り立っている。大都市の楽団に比べて地域との結びつきも強い」と印象を語る。

 楽団と市民との結びつきを象徴するのが、山響が所有するドイツ製のコントラバスの名器「ペルマン」だ。ペルマンは1985年、市民有志が募った寄付金で購入し、寄贈され、37年たった今も、山響の演奏の土台を支える。

 寄付金は当時、文化庁の助成基準を満たせず、経営難に苦しんでいた山響を支えようと、音楽好きな市民ら約50人が結成した「山響に楽器をおくる会」の呼びかけで集めた。当初の目標は200万円だったが、約2か月で2000人以上から約400万円が寄せられたという。

 同会の事務局長を務めた林政俊さん(73)は「募金活動を通して、コントラバスが山響をいろんな人に知ってもらうためのシンボルになった。当時の団員がほとんど卒業した今でも使い続けてくれて、贈った側としてはとてもうれしい」と振り返る。

 現在ペルマンを演奏する、楽団員の米山明子さん(53)は「華やかではないけど、存在感があって安定した音を出す、山形らしい楽器。コントラバスは寿命が長いので、山響が100周年を迎えた後も、ずっと支え続けてほしい」と願う。

 こうして山響が親しまれる背景には、演奏の質の高さはもちろん、県外開催のコンサート会場で県の特産品を販売するなどの地域貢献活動がある。

 2016年から参加する「大蕨の棚田」(山辺町)の再生事業もその一環だ。楽団員が田植えや稲刈りに参加したり、棚田でコンサートを開いたりして、地元住民らと交流を深めており、収穫した米は「山響棚田米」として演奏会などで販売もしている。

 再生事業に取り組む、地元の「グループ農夫の会」代表の稲村和之さん(69)は「楽団員の方々と山形の食や自然の話をしながら一緒に農作業に汗を流すと、山響がとても身近に感じられる。棚田でのコンサートは景色も相まって素晴らしく、演奏を聞いたお米もおいしく育つ」と話した。

 現在は「35市町村魅力発信プロジェクト」と題し、県内全市町村の観光名所などで楽団員が演奏する様子を動画に収め、オンラインで配信する企画が進行中だ。山響の西浜秀樹専務理事は「県民があまり意識していない山形の魅力を、山響から県外に広めていければ」と展望を語った。

作品解説など 演奏会に工夫

 山形交響楽団(山響)は設立当初から、地域密着と子供たちへの情操教育を重視し、定期演奏会や県内各地の学校を訪問する「スクールコンサート」を続けてきた。

 1987年には東京・赤坂のサントリーホールで初の東京公演を開催。91年には、県の姉妹州の米国・コロラド州で初の海外公演を実現し、山響の存在感をアピールしてきた。

 演奏技術の向上に取り組むとともに、2004年に常任指揮者に就任した飯森範親氏は、より魅力的で親しまれるオーケストラに成長させようと改革に着手。演奏会前に指揮者らが登壇して作品を解説する「プレコンサートトーク」を取り入れ、キャッチフレーズ「食と温泉の国のオーケストラ」を掲げるなどした。

 現在は、ドイツの歌劇場で音楽総監督などを歴任した阪哲朗氏が常任指揮者を務め、オペラ演奏を強化。山響の表現力にさらに磨きをかけている。

山響50年の歩み

1971年2月:村川千秋氏らが山響の設立準備委員会を発足

  72年1月:東北初のプロオーケストラとして設立

  85年11月:市民有志が寄付金で購入したコントラバスを贈呈

  87年1月:サントリーホールで初めての東京公演

  91年7月:米コロラド州で初めての海外公演

2001年4月:定期演奏会の主会場となる「山形テルサ」が山形市双葉町に開館

  04年4月:飯森範親氏が常任指揮者に就任

  08年9月:山響が出演した映画「おくりびと」が公開

  19年4月:阪哲朗氏が常任指揮者に就任

  20年5月:県総合文化芸術館「やまぎん県民ホール」が開館

  22年1月:創立50周年

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