退任の大きな理由は、大阪・関西万博の開催に向けた「大阪・関西万博催事検討会議」の共同座長に就任するためだ。大崎氏は本紙の取材に「吉本は大阪の会社で大阪に育てられて万博のことをきっちりやらないとアカンと思った」と説明した。
万博関係者によると、吉本はお笑いだけでなく、JO1らボーイズグループや古典芸能など幅広いエンタメの制作能力のある会社ということもあり「以前より共同座長の話が持ち上がっており、会長にお願いした」という。万博には吉本がパビリオンを出展する予定で、大崎氏は会社を離れた形で催事を手掛けることになる。
大崎氏にとって、2年かけて書き上げた自伝「居場所。」(サンマーク出版)を3月に上梓(じょうし)したこともきっかけとなった。「本を書きながら、吉本での僕の意味合いは終わったかなと思った。大崎興業じゃないからね。岡本昭彦社長もちゃんとしているし、離れることを決めた。いろんな流れが重なった」と明かした。一人で退任することを決め、4月27日の役員会で発表した。
1978年に入社。3年目の80年、吉本の本格的な東京進出につながる「漫才ブーム」が起こり、東京連絡所で走り回る日々を過ごした。82年に大阪に戻ると、芸人養成所「吉本総合芸能学院(NSC)」が開校。そこで発掘したのが、1期生のダウンタウンだった。勝手にマネジメントを担当。毎日放送でバラエティー「4時ですよ〜だ」を立ち上げダウンタウンは一気にブレークを果たした。
タレントのマネジメントだけでなく、お笑いの枠を超えた事業も展開。09年に沖縄国際映画祭を手がけ、昨年3月にはテレビ局「BSよしもと」を開局。吉本を一大エンターテインメント企業へと発展させた。
ピンチを何度も乗り越えた。副社長時代の07年には創業家と経営陣との対立、いわゆるお家騒動が起きた。株価が下落し、買収を仕掛けられる可能性が出ると、経営陣は上場を廃止して買収を阻止した。19年の会長就任後には、闇営業問題が大騒動に。記者会見が注目を集めた岡本社長が矢面に立ち、危機を乗り切った。
今後は万博の成功に向けて再び辣腕(らつわん)を振るう。7月28日に70歳の誕生日を迎えるが「70歳でもう一回チャレンジできるのは幸せなこと」。日本のエンタメを世界に発信すべく、挑戦を続ける。