稲葉新体制NHKは「前田改革」を改革できるか…目指す「スリムで強靱」が抱える負の側面(立岩陽一郎)

【立岩陽一郎「漂流するメディア」】

 新しくNHKの会長となった稲葉延雄氏(72)が新体制を発表した。そこでは、安倍政権、菅政権との関係が指摘され内外の批判を受けつつ何度も理事に登用された人物や、「出世の事しか考えていない」「ジャーナリズム精神とは無縁」などの悪評が漏れ伝わっていた人物が退任しており、近年のNHKに批判的だった元報道幹部も、「井上君が切ったのだろう。少しまともになった」と評価した。

「井上」とは稲葉会長が就任後に呼び戻される形で副会長に就任した井上樹彦氏だ。政治部長を務めた元NHK政治部記者だが、政権と距離を置く姿勢を示していた印象がある。「少しまともになった」という評価はそれなりに説得力を持つが、いずれにしても、新体制の評価は今後の取り組み次第ということになる。日本銀行(日銀)出身のトップにメディアをけん引する資質があるのか、その懸念が残ることは指摘しておきたい。

 稲葉会長が国会の答弁で総務省を郵政省と間違えて発言する一幕があった。3月2日の参議院予算委員会でNHK党(当時)の浜田聡議員から、NHKの郵便法違反について問われた際のことだ。稲葉会長はこれについて「本来、総務省と言うべきところを、慣れていないからでしょうか。郵政省というふうに間違って申上げました」と釈明。「郵政省というふうに」と語った際に、思わず自分で噴き出すというなんともしまりない答弁だった。

 もちろん、その答弁を揶揄する気はない。しかし稲葉会長の出身である日銀の総裁が財務省を大蔵省と言い間違えるだろうか? と、思わず言いたくなる。つまり、放送に対する門外漢であることを印象付ける答弁といえるだろう。

目次

前田改革の最大の問題は取材力、番組制作能力の低下

 何やらNHKの先行きに暗雲垂れ込めるような新会長の船出だ。その姿を見たNHK職員はどう思っただろうか。自分の出世がかかる理事や局長クラスは、新会長をどう支え、それをどうアピールするかを必死で考えつつ答弁に見入っただろう。勿論、その中には今回の人事で退任した人間も入っているわけだが。

 では現場はどうか? 記者出身の部長級職員は、「前会長が望んでの登板ということだから前田改革を踏襲するということだろう。期待するかって? 自身の出世が見込める経済部の記者くらいだろう」と冷めた見方を示した。

 言うまでもなく経済部記者は日銀を取材する。政治部における官邸取材、社会部における警視庁、検察庁取材とならび、経済部取材の根幹が日銀なのだ。実は、その発言を裏付ける役員人事が今回行われている。経済部長経験者の根本拓也氏が新たに理事に入っている。根本氏は報道局長まで務めたが、その後NHKの関連会社に出ており、通常であればそれで「上がり」だ。良くも悪くも発言を裏付ける抜擢人事といえる。

 人事の話はこれくらいで良いとして、稲葉体制で注目されるのは2023年1月24日に任期満了で退任した前田晃伸前会長(78)の方針を踏襲するか否かだ。その方針とは、一言で言えば、「スリムで強靱なNHK」ということになる。

 これは評価して良い点もある。かつて組合(日放労)の力を削ぐために職員の管理職比率を高めた結果、NHKは管理職が異様に多い組織と言われる。前会長はその是正に動き、管理職の数を減らしている。それは評価すべきだろうと思う。

 また、原籍にとらわれない人事というのも改革の大きな柱だった。NHKは前述の政治部、経済部といった記者職や番組制作を担うPD(プログラム・ディレクターの略)職、技術職、経理や営業を担う経営管理職、そしてカメラマン職、アナウンサー職と、原籍に職員人事が影響される。前田前会長はそれを「縦割り」と批判して、なくす人事を推し進めた。

 そうした前田改革というのは、組織論としては前向きにとらえても良いかもしれない。ただし、それがメディア、放送局の機能として考えた時にどうなのか、という点で疑問に思う点は少なくない。原籍にとらわれない人事とは、例えば、記者職で入局(NHKは入社を入局と呼ぶ)した職員でも、営業職になるなど当初の希望とは異なるさまざまな分野を担当することになるということだ。大自然を相手に何か月も歩き回ってドキュメンタリーを制作したいという職員もいるだろう。それが3年後にはノルマを課せられた営業や日々ニュースに追われる記者をやらされたら、本人はモチベーションを維持できないだろう。それはNHKにとってマイナスに働くと危惧するNHKのOBは多い……否、懸念しないOBに会ったことがない。

 この前田改革の最大の問題は、まさに、NHKの取材力、番組制作能力が低下する懸念が生じている点だ。例えば、NHKには障がい者を長年追い続ける部署がある。私はNHKで社会部記者の時、パラリンピックの取材でその部署の先輩に全てを教わった。その指導がなければパラリンピック取材はうまくいかなかっただろう。専門分野での継続作業は経験を蓄積し、それが放送に生かされるというのは、NHKの放送に携わった人間なら等しく経験している。新会長には、前田改革を検証してメディアとしての在るべき姿を模索して欲しい。

みずほ銀行のシステム障害はアンタッチャブル?

 そうした点で、最も検証すべきは、実は看板報道番組の「クローズアップ現代」だ。私はこの実績ある番組が廃止されるとの情報を入手して報じたことがある。その証拠の記録も手許にあるが、結果的に「誤報」ということになった。現在は桑子真帆キャスターによって名称と放送時間を元に戻して続いている。今回はその経緯について書きたいわけではない。「クローズアップ現代」が取り上げなかったある事案、みずほ銀行のシステム障害についてだ。

 同行のシステム障害は一度ではない。このメガバンクは2002年、2011年、2021年にわたってシステム障害を起こし、多くの利用者が困難な状況に直面した。みずほ銀行はまさに前田氏の出身母体だ。出身母体というだけではない。報道によると、システム障害が頻発した2021年には12カ月で11回も起きたという。その時のトップが前田氏だ。このシステム障害の原因は第一勧銀、富士銀行、日本興業銀行とのシステム統合の不具合によって生じたとされるが、その都度、ATMが使えずカードや通帳がATMから取り出せなくなったり、店舗の窓口で振り込みができなくなった利用者が出ている。

 ところで前田氏がNHK会長に就任したのは2020年1月25日だ。つまり、その時点ですでにみずほ銀行のシステム障害は起きており、それが翌年になって極めて大きな問題になったということだ。

 ところがこの問題は、「クローズアップ現代」では一度も取り上げられていない。NHKのウェブサイトには「クローズアップ現代」の放送記録が公開されている(注)。前田氏が会長に就任して最初の「クローズアップ現代」は2020年1月28日。それから会長退任まで287本の「クローズアップ現代」が出されているが、みずほ銀行のシステム障害の原因や影響に迫るような番組(テーマ)は放送されていないどころか、そもそもみずほ銀行の問題に触れるような番組は放送されていない。

※注= https://www.nhk.or.jp/gendai/archives/

記者やPDから提案はなかったのか、通らなかったのか

「クローズアップ現代」には大きく2通りの制作パターンがある。番組に責任を持つ編集責任者らで決めて、制作が行われるもの。これは新型コロナの問題や政治日程に関係するもの、終戦の夏に放送する太平洋戦争を扱った内容がそれになる。もう1つには、現場の記者やPDが取材して提案する内容。みずほ銀行の問題は日程ありきではないので後者となる。そうなると、報道局経済部の記者か、あるいは報道番組部の経済班に所属するPDがその担当となる。つまり、その記者やPDは、この問題を提案しなかったということなのか? あるいは、提案が通らなかったのか? そのいずれかになる。

 3月9日にNHKの広報にメールで問うたが、回答を求めた3月16日を過ぎてしばらくしても回答は来なかった。実はNHKに質問をして回答がなかったことは初めてだ。事実上のゼロ回答がほとんどだが、それでもこれまでは回答があった。回答ができなかったということかもしれない。「クローズアップ現代」を担当してきたPDは、「提案会議で議論になったことはない」と明かした。つまり提案がなかったということだ。ちなみに「NHKスペシャル」でも状況は同じだが、それは当然で、多くの場合まず「クローズアップ現代」で放送をした後に、さらに取材を深めて「NHKスペシャル」で展開するという流れになるからだ。

 なぜ提案さえ出ないのか? 会長が不快に思うような提案を出せないということなのか。では、誰か1人でもデスクの中で、「これはやらないといけないだろう」と提案を出すよう促す人間はいなかったのか? 会長が不快に思うだろう提案がなされない状況とは、そのまま会長のお気に入り職員が出世するNHKを作っているということかもしれない。

 前田改革がNHKをスリムにはしたが、強靱にはしていない。その一端を物語るのが「クローズアップ現代」で、みずほ銀行の問題を取り上げなかった事実に凝縮されているとは言い過ぎだろうか。

 稲葉新会長は就任会見で、「NHKらしい真摯な姿勢で、報道面では、公正・公平で確かな情報を間断なくお届けし、多様な情報がある中で、皆様の日々の判断のよりどころになりたい。エンターテインメントの制作面では、新しい試みに挑戦しながら、世界に通ずる質の高い番組の提供を心がけ、日常がより豊かで文化的なものとなるよう精いっぱい努力したい」と述べた。

 放送業界を長く取材するジャーナリストの高堀冬彦氏は「デイリー新潮」で、稲葉会長が前田改革をあらためる方針を示したことを報じている。それは冒頭に紹介した役員人事と符合する動きであり、それを願っている心あるNHK関係者は多い。稲葉会長が「精いっぱい努力」するその最初が、本当に前田改革を見直すことになるのか注視したい。

(立岩陽一郎/ジャーナリスト)

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