音楽を使ったモノマネネタで活躍してきた清水。唯一無二のスタイルはタモリのコンサートを見たことがきっかけとなったとし、「あたしはね、10代の終わりにタモリさんのコンサートを初めて見て、『これだ』って思って。その頃のタモリさんって、音楽もやって、ネタもやるって両方だったの。見知らぬ人たちがコンサート会場に集まって、同じところで共感して、同じところで笑って、一緒に拍手してっていうのに凄い感動して。『あたしもこうなりたい』って思ったの」と振り返った。
タモリを追いかけているのかと聞かれると、「そうなんですよ」と明言した清水。1983年にラジオ番組への出演を機にデビュー。その後はモノマネを中心に活躍、87年には新人発掘番組の「冗談画報」(フジテレビ)や「笑っていいとも!」(フジテレビ)への出演が決定するなどして、全国区の人気者となった。
「いいとも」では憧れのタモリと共演。「おタモしみラジオショー」のコーナーは清水とタモリがラジオのように語り合い、「私がモノマネをタモリさんに教えるみたいな」と明かした。打ち合わせ通りやっていたのかと聞かれると、「いや全然それがなくって。昔って番組出る前にアンケートもなかったし、今の方がちゃんとしてるっていうか」とぶっつけ本番でやっていたとした。
清水は当時の心境について「タモリさんのライブを見て感動し、この業界に入ったようなもので。初レギュラーがタモリさんとご一緒なのはうれしかったです。自分って運がいいんだなと思いました。もっと早くデビューすれば良かったとまで思ってました」と書き記した。タモリに言われて印象的だったことを問われると、「『ノンジャンルな人だね』みたいなことは言われました。私は芸人と思ってたので、芸人じゃないんだと思いましたね」と語った。