李さんは60年代から劇作家の唐十郎氏らと劇団「状況劇場」で活動し、個性的な演技で「アングラの女王」と評された。司会の黒柳徹子から「晩年のご様子はどんなでしたか」と聞かれると、大鶴は「脳梗塞を起こしてしまいまして。コロナになる前だったんですけれども、そこから女優業ができなくて。最後自分のプロデュースで1人芝居みたいなのをやるはずだったんですけど、それがちょっと叶わなくて。能をベースにした、芝居だったんですけどね」と明かした。
大鶴は李さんの晩年、2世帯住宅で暮らしていたとし、「母が病気になって芝居ができなくなったのを見て、役者っていうのは体が資本だなと思いましたね。かわいそうだなと思ったのは、うちの母も元気で力を出すタイプの女優さんだったので、そこの羽をもがれちゃうと、どうにもしようがなくなっちゃうという」と語った。
李さんは昨年春に肺炎を発症。「脳梗塞やって動けなくなって、徐々に内蔵のいろんな病気とか起こしたりして、最後自分でもご飯とか食べられなくなっちゃって、2カ月ぐらいだったんですけど」と説明。「最後は看取りという形になったんですけど、家の近くの病院で医療ができたので、気が付くと会いに行ったりできたんで。ある種母親が教えてくれたと思ってるんですけど、人はこうやって幕を閉じて行くんだぞということを、2カ月かけて教えてくれたくれた気がして。悲しいんだけど、意味がある気がして」としみじみと話した。
最期の瞬間は「家が近かったのが良かったんですけど、朝、出かけようと思ってたら病院から連絡があって『今すぐ来てください』と。寝巻のまま家から走って行ったら、10秒でしたね。心臓が止まる10秒ぐらい前に手が握れたという感じで。エレベーター一つ乗り遅れてたらダメでしたね。これはありがたい話だったんですけれどね」と大鶴。「人間って最期、エネルギーが出るのか、はって目を開いてなんか言おうとするんですよね。言葉にはなってないんですけれどね」とも語った。
李さんの元夫で大鶴の父・唐十郎氏は何と話していたかと聞かれると、「まあうちの父もねそれなりに年を取ってるんですけど、まあ最後お通夜も来て、芝居の歌を歌って帰って行きましたね。うちの母と芝居をやってる時の、代表的な芝居の歌なんですけど、それを1人歌って帰って行きました。うちの親父らしい」と明かした。