「ロックの世界はタイムレス、エイジレス。もうなんちゅうか輝いとるもんが勝ちっていうような世界やけんさ。そんな中に自分らもまだおれることが本当にありがたい」
このほど74歳で亡くなった「シーナ&ロケッツ」のギタリスト鮎川誠さんは生涯、ロックし続けた。「ローリングストーンジャパン」の2020年のインタビューでは古希を迎えてなお、「ロックがやれて幸せです」と言い、冒頭のようにコメントしていた。
昨年5月に膵臓がんが見つかり、医師から余命宣告されて以降も、病気を公表せず「死ぬまでの間に1本でも多く、『シーナ&ロケッツ』のライブをやりたい」とツアーに臨み、亡くなる直前まで音楽制作に打ち込んだ。
「あれほど愚直に、ロックし続けた人は他にいないと思います」と、構成作家のチャッピー加藤氏はこう言う。
「昨年はシナロケ結成45周年。74歳にして精力的に全国をまわり、43本ものライブでステージに立たれましたが、余命5カ月と宣告されていたと知って、驚きました。年末に激しい腹痛で一時入院となったり、相当つらかったと想像しますが、そんなそぶりも見せず、気力を振り絞った。それもこれも、自分たちを待ってくれるファンがいたからでしょう」
同インタビューでも「今日ロックに興味を持った、いきなりロックを聴いた、そういう若い人たちにも、何とか伝えたいっちゅうか、届いて欲しい」と語っていた。
■「それが好きなんだからしょうがない」
1970〜80年代、福岡でのロックムーブメント「めんたいロック」のパイオニア。78年に夫婦で上京し「シーナ&ロケッツ」を結成、「ユー・メイ・ドリーム」は日本航空のCMでも流れ、大ブレークとなった。
「鮎川さんは、自分に嘘をつかなかった人だったと思います。好きなものは好きと公言し、結果的に影響を受けたアーティストの曲と似たものができたとしても、『それが好きなんだからしょうがない』と隠そうとしなかった。もちろん、そのギターもシーナさんのボーカルも唯一無二で、後輩ミュージシャンらに大きな影響を与えましたし、あたたかい人柄で幅広い交友関係へとつなげていった」(加藤氏)
先日亡くなった高橋幸宏さんとも親交があり、80年のYMO初の国内ツアーにゲスト・ギタリストとして参加したり、アルバムでギターを担当したことも。細野晴臣に気に入られて、そのプロデュースでできたのが「ユー・メイ・ドリーム」であった。
「とにかく好きなものに一途で、ブルース、ゴスペル、カントリーなどルーツミュージックの知識は誰よりも深く、また早くからパソコンに凝り、90年代後半にはバンドのホームページをご自分で立ち上げた。好きこそものの上手なれで、とことん深く掘り下げていくタイプでした」(加藤氏)
少年時代に目覚めたロックでスターを夢見て、それを実現、生涯にわたって追求していく。かつての少年たちの憧れの存在であり、これからもそれは変わらないだろう。2015年に死去した妻シーナさん(享年61)と同じ下北沢で2月4日、ロック葬が営まれる。