「男闘呼組」は1988年にデビューし、デビュー曲の「DAYBREAK」がレコード大賞新人賞を受賞。同年の紅白歌合戦にも出場した。1993年に突然活動休止を発表。今年29年ぶりに再結成した。
活動休止後、それぞれの場で活動する中、前田は「連絡先も知らない状態。和也の連絡先しか知らなかった」という。高橋は「僕は全員の連絡先をたまたま知ることができて。最初、(成田)昭次と10年ぶりにやりとりした時、“元気?和也だよ”って送ったけど1週間くらい連絡なかったんですよ。昭次が会いたくないのかなって思って、あんまりぐいぐい押してもいけないし、すごい気を遣ったけど、1週間して“和也、久しぶり。元気だよ”ってLINEが来て。うわーっ!ってなって」と思わず他のメンバーにも成田と連絡がとれたことを報告したという。1週間後の返信の真相は「10年もメンバーと会ってなくて、一般の生活してたから、いまさら昔のメンバーとどういう風に接していいかわからなかったって言ってましたね」。
その後、ジャニー喜多川さんが亡くなり、2019年に東京ドームで開かれたお別れ会が最初の転機となった。前田は「そこに昭次が来たんですよ。(岡本)健一だけが会えて。いろいろ話したみたいで。昭次が耕陽ともしゃべりたいって言ってたよって聞いて。名古屋に住んでるって言うから、舞台で名古屋に行くからその時会おうって言ったら、いいよ会おうって。僕だけ会うのもなんかずるいっていう気持ちがなるから、昭次と会った時に和也にテレビ電話して一緒にいるんだって言ったらめっちゃ喜んでくれて」と再会を喜んだという。
「久しぶりに会った時はものすごく恐縮してて、音信不通になって申し訳ないって感じで。でもそんなことより会える喜びの方が強いから。いいんだよそんなこと!って。むりやりその日カラオケ連れていって、男闘呼組歌わせました」と苦笑。さらに「僕がカラオケ歌わせた次の週に健一が仕事で名古屋行ってて、昭次と会ったらしいんですよ。それで昭次が“先週、耕陽にカラオケ連れていかれた”って言ったらしくて、健一が俺とも行こうよ!って」と岡本も立て続けに成田をカラオケに連れ出した。「それで健一ともカラオケ行ったら、昭次まだ全然いけるじゃんって。それで、男闘呼組もう一回やろうよってなった」と成田の声が衰えていなかったことで再結成の話が加速したという。
2020年8月、名古屋のスタジオに集まり、27年ぶりにセッションが実現。高橋は「うわー!って抱き合って。最初は緊張したけれど」と振り返り、前田は「めちゃくちゃ練習しました。俺だけ弾けなかったら恥ずかしいから」と相当準備して臨んだセッションだった。
翌日には前田の運転で、4人だけでジャニーさんのお墓参りへ。名古屋から高野山まで4時間半ほどのロングドライブだったが、前田は「4人だけで車に乗ってるっていうのが今までなくて。絶対誰かスタッフがいたから。4人しかいない空間っていうのが初めてだった」と新鮮な雰囲気を味わい、「4人でゲラゲラ笑いながら、楽しかったです」。前田の妻であるMCの海原ともこも「楽しそうだったよ、耕陽さんも。タイミングときっかけよねえ」としみじみ。
成田は本格的な再結成をためらっていたが、高橋は「2年前に健一が本気で男闘呼組を再結成したいから昭次、東京出てこいよって言って。彼が、今の社長さんを昭次に紹介して、東京に出てきても音楽活動ができるようにって健一が一生懸命動いてくれたんですよね」と岡本が奔走していたことを明かした。「名古屋での安定した生活もあったのに、東京出てきて大丈夫かなっていう不安もあったと思う。芸能界って競争激しい世界に行くというのは。でも健一曰く、人に見られなくても地道な安定した人生と、もう一度ギター弾いてお客さんの前に立って俺たちと一緒に音楽やる人生が二つあるとしたら、昭次にはもう一度ギター弾いてお客さんの前に立ってほしいっていう思いがあったと」と語った。