ミヤネ屋の転機は「フリートーク」…でもナイナイには怒られた「東京には、あの文化はない」

 読売テレビ(大阪市)が制作する「情報ライブ ミヤネ屋」(月〜金曜午後1時55分)が4月25日、放送4000回を迎える。自身の名前を冠したローカル番組を全国区に押し上げた司会のフリーアナウンサー、宮根誠司(58)に話を聞いた。(大阪文化部 渡辺彩香)

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放送4000回「丈夫な体に生んでくれた両親に感謝」

 4月12日の生放送の終了直後、スタジオを訪ねて宮根を直撃した。この日も、季節外れの暑さの原因から、ウクライナ情勢や、現地で救援活動に従事する日本人医師への中継インタビュー、さらに英国のエリザベス女王や米アカデミー賞俳優ウィル・スミスの話題まで、いつもと変わらぬ盛りだくさんの内容を放送した。そんな疲れも感じさせず、セットをバックにした写真撮影では、陽気な笑顔でポーズを取ってくれた。

 しかし、場所を移してインタビューを始めると、真剣な表情に変わった。「先日、4000回と聞いて『えっ、そんなにやったんだ』とびっくりした。あまり実感がなくて。16年もやらせていただけるとは(スタート時は)全く頭になかった。僕、体調不良で休んだことがないので、丈夫な体に生んでくれた両親に感謝しています」。記者の目を真っすぐ見て、時に考え込み、言葉を一つ一つ選んでゆっくり答える。テレビで見せる軽妙でスピード感あふれる姿とは少し違った。

視聴率取れず、つらかった「出社」

 番組は2006年7月に関西地区のローカル枠で始まり、対象地域を順次拡大。08年3月に関東で放送を開始して全国ネットとなった。高視聴率を維持し、同時間帯で頭一つ抜け出す存在となっている。

 でも決して順調だったわけではない。「当初は全然視聴率が取れなかったですね。けっこうつらかったですよ、読売テレビに来るの」

 実は宮根は、同じ大阪の朝日放送(ABC、現・朝日放送テレビ)の元局アナだ。入社4年目の1990年から朝の看板番組「おはよう朝日です」の司会を担当し、2004年にフリーに転身後も10年まで継続して出演した。「ミヤネ屋」が始まったのはそんな頃。平日朝と昼の帯番組を掛け持ちして、「関西のみのもんた」と呼ばれたこともある。

 「『おはよう朝日です』はすごく視聴率を取っていたのに『ミヤネ屋』はそれこそ2%とか3%とか。『朝の宮根と昼の宮根は何が違うの?』と悩んだこともありました。朝の手応えからしたら、昼も見てよ、という考えがあったんでしょうね。でもそんなに甘くなくて(番組の人気が出るまで)何年もかかりましたね」

威力発揮した大型パネル、旬のテーマ徹底解説

 そんな苦戦の日々に、頭を悩ませてスタッフと考え出したアイデアによって、光明が差し込んでくる。今では多くのワイドショーやニュース・情報番組でおなじみとなった「大型パネル」だ。

 「昼間の番組なので放送中に世の中も動いているし、コメンテーターとのやり取りで前の話に戻ったり先に進んだりもする。話が行ったり来たりしても、パネルは台本(代わり)にもなるし、僕もけっこうアドリブでしゃべる方なので、やってみたらよかった」

 最初はスタッフもパネル作りに不慣れで、放送に出すことができたのは週2日くらい。それでも、問題のポイントを一覧できる大型パネルは威力を発揮し、時間を割いて旬のテーマを徹底的に解説するスタイルが人気となった。「おそらく一番最初にやったのが『ミヤネ屋』だと思う」と胸を張る。

近所のおっちゃん、おばちゃんの目線で

 そして、番組の知名度を一気に全国区に急上昇させる出来事が起こる。08年3月31日、関東での放送開始と同時に、東京・日本テレビの報道フロアから全国ニュースを伝えるコーナーが番組中盤に新設された。その「初代」キャスターが丸岡いずみ(10年3月26日まで出演)。ニュースを読み終えた直後、宮根が繰り出すフリートークに「天然ボケ」で応じる軽妙な掛け合いが大評判となった。

 「狙ったのではありません。わざわざ東京からニュースを読んでいただくのに、単にありがとうございましたで終わるのって失礼だろう、と思って。(ニュースに)全然関係ないことをしゃべり出したら、そのトークが人気になっちゃった。タクシーの運転手さんが『あのコーナーになったら、車を止めて見る』という話も聞いて、『あれ、そんな面白いのかなあ』と。ナインティナインの番組に呼ばれた時、『東京にはあの文化がないから、やめたほうがいい』って怒られましたけどね(笑)」

 そんな宮根が番組で心がけていることは何か。「近所のおっちゃん、おばちゃんの目線ですかね。世の中で起きているのによく分からないことを、町内会の会長みたいに僕が代表して専門家に聞く。僕は結論を出さなくていい。毎朝、新聞を読んで疑問に思ったところに青線を引き、聞くようにしている」

 宮根は日曜夜にフジテレビ系「Mr.サンデー」の司会も務めるが、「全然違う」という。その違いを野球のピッチャーに例えて説明してくれた。月〜金曜の「ミヤネ屋」は、変化球を交ぜる「先発完投」型。毎日長時間飽きずに見てもらえるよう少しずつフリを入れていく。これに対して、「Mr.サンデー」は「抑え」。「週1回1時間15分なので、ストレートで核心を突く。木村太郎さんに『結論を先に言って』『理由を説明してくれ』ってけんかを売るみたいに」

信頼性がテレビの役割で生命線

 16年間やってきた「ミヤネ屋」。長い歴史の中でも印象深い放送はあるのだろうか。宮根に問うと、少し言葉に詰まり、意外な答えが返ってきた。「帰ってから、僕、自分の放送を見ない。あしたの放送があるので、あしたのことを考えなきゃいけない。だから、あまり内容は覚えていないですね」

 ただ、コロナ禍の放送では「日々悩んでいる」と明かした。「医療現場も飲食店も感染者も大変な状況の中、どちらの立場でどちらに向いてしゃべったらいいんだろうって。おしゃべりの仕事で自分の立ち位置が分からなくなったのは初めて」

 自らも活動の場とするテレビへの愛情は人一倍強い。「僕はテレビ世代。娯楽の王様でいてほしい」。そして、インターネット上に玉石混交の情報があふれる今、「『テレビは真実である』という信頼性がテレビの役割であり、生命線だ」と、その未来を信じている。

「そろそろ好き勝手に暴れようかな」

 最後に、今後の「ミヤネ屋」について尋ねてみた。「分かりやすく、時には楽しい番組であるように毎日頑張りたい」と意欲を示しつつ、「読売テレビのアナウンサーで引き継いでくれる人が出てきてくれるのがうれしいなと思います」と打ち明けた。局アナ時代に「いつかはあの先輩のようになりたい」と目標を持っていたそうで、「僕もそういう年になったのかな」と、未来を担う後進の出現にも期待する。

 「個人的には(自分は)そんなに長くはやらないだろうと思うので、そろそろ好き勝手に暴れようかなというのはありますね」。冗談とも本音ともとれる言葉を残して、笑顔でインタビューを締めくくった。

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