<※以下、ネタバレ有>
稀代の喜劇作家にして群像劇の名手・三谷幸喜氏が脚本を手掛ける大河ドラマ61作目。タイトルの「鎌倉殿」とは、鎌倉幕府将軍のこと。主人公は鎌倉幕府2代執権・北条義時。鎌倉幕府初代将軍・源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男。野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。物語は、江戸幕府まで続く強固な武家政権樹立を決定づけた義時と朝廷の決戦「承久の乱」へと向かう。三谷氏は2004年「新選組!」、16年「真田丸」に続く6年ぶり3作目の大河脚本。小栗は8作目にして大河初主演に挑んだ。
第42話は「夢のゆくえ」。八田知家(市原隼人)が世話役となり、3代鎌倉殿・源実朝(柿澤勇人)の“夢の渡宋計画”が進められた。
北条泰時(坂口健太郎)は源仲章(生田斗真)が実朝の夢日記を盗み見し、宋の技術者・陳和卿(テイ龍進)を連れてきた可能性を進言。西への警戒を強める北条義時(小栗)が圧力をかけ、唐船建造は中止になりかけたものの、船に御家人の名を入れるという泰時の提案や三善康信(小林隆)の懇願などにより続行。予定通り、翌建保5年(1217年)4月完成のメドがついた。
実朝と知家の夢が近づく中、深夜、北条時房(瀬戸康史)とトウ(山本千尋)が船に忍び込む。時房は図面に何か書き込んだ。
そして、ついに進水式。しかし、船が浜にめりこんでしまった。陳和卿は「(図面の)値が違う。これでは船が重すぎる!」。知家は上半身裸になり絶叫、康信も腰を痛めながら御家人たちと船を引っ張るが、ビクともしない。
「陳和卿の指示に従い、人々は午の刻(午前11時〜午後1時)から申の刻(午後3時〜5時)まで、力の限り船を引いたが、海に浮かべることはできなかった」(語り・長澤まさみ)
高台の観覧席。義時は「重さの勘定を誤ったか」と冷ややかな表情。時房は「そのようですね」。夢破れた実朝は涙し、呆然。政子は背後から息子を抱き締め、慰めた。
失意の息子に、政子は「母は考えました。あなたが鎌倉の揺るぎない主となる手を」。実朝は「家督を譲る。鎌倉殿を辞し、大御所となる」と宣言。京から養子を迎える意向を示した。時房は「おおごと…」と聞き間違えた。
丸餅コントや童顔イジり、便所落ちや「プルップ…」(大姫の呪文を覚え間違い)など“癒やしの存在”だった時房が、義時の指示に従ったとみられる船の図面への細工。実朝の夢は叶わなかった。
SNS上には「トキューサもついに闇落ちか…」「私たちの最後の癒やしのトキューサまでも闇落ちしてしまった」「トキューサがついに闇落ちしたかと思ったら、次々笑わせてくるからトキューサマジトキューサ」などの声も。思えば、第33話「修善寺」(8月28日)、時房は「兄上にとって太郎は、何ていうのかな、望みなんですね」「ならば私は、兄上にとって太郎とは真逆でありたい。太郎が異を唱えることは全部、私が引き受けます。何でも申し付けてください」と宣言していた。
天然ぶりは変わらずも、義時の右腕として任務を遂行。時房の存在が一層、大きくなりそうだ。