藤子不二雄Aさんの存在感、酒とゴルフで各界と交流 王貞治、中川翔子、永井豪ら…思い出語る

藤子不二雄Aさんの存在感、酒とゴルフで各界と交流 王貞治、中川翔子、永井豪ら…思い出語る

『漫画家・藤子不二雄Aさん お別れの会』の様子 (C)ORICON NewS inc.

(ORICON NEWS)

 4月に亡くなった漫画家・藤子不二雄Aさんのお別れ会が10月31日、オークラ東京で行われた。漫画家のほか、小学館、講談社、集英社と大手出版社の会長・社長、交流のあった中川翔子ら芸能人、王貞治氏が出席して、藤子さんとの“酒とゴルフ”の思い出を語った。

 藤子さんは1934年に富山県で生まれた。1951年にデビューし、代表作『忍者ハットリくん』『怪物くん』のほか、『笑ゥせぇるすまん』『プロゴルファー猿』などを世に送り出した日本を代表する漫画家の一人。作品はテレビアニメ化、実写ドラマ化もされている。

 講談社の野間省伸社長は30代のころから交流した仲で「私にとっては、国民的漫画作品の大作家というより、『楽しいおじいちゃん』『歳の離れた愉快な飲み友達』でした。出版パーティーなどで一緒になったら最後、そのまま銀座、六本木と流れて朝方までご一緒されていただくこともありました。内心、『また、会っちゃったよ…』とこっそり逃げたくなることもたまにはありましたが、気づけば次の店でした」と苦笑い。

 思い出の一言は「『仕事は小学館、遊びは講談社』。安孫子さんはパーティーでのあいさつの際、こんなフレーズを悪びれもせず好んで披露しました」とし、「『遊びは講談社』だなんて、最高の褒め言葉です」と打ち明けた。

 漫画家からは「アビちゃんと、又、飲み明かしたいな(ありがとう)」(ちばてつや)、「ゴルフとお酒とジョークで出来ていたアビちゃん先生!! また、いつの日か…お供したいです」(永井豪)、「40数年前『釣りバカ日誌』が始まった時、ヨカッタネとうれしそうにおっしゃってくれて…いい兄貴でした」(北見けんいち)とコメントが寄せられた。

 囲み取材で漫画家の永井氏は「ゴルフに一緒に行きヘトヘトな状態で帰ろうとした時、僕の車に乗り込んで『銀座に行くぞ!』と銀座へ飲みに行ったことがありました」とし、「銀座で(店を)ハシゴするのですが、歩くスピードが半端じゃない! 12時過ぎても帰らないので、『先生、帰りましょうよ』と言うと、『人生は短いんだから寝ちゃったら損でしょ!』と。そのまま、着替えてまたゴルフに行くという。どこまでタフなんだと思いました」と振り返った。

 俳優の石坂浩二は「一緒にゴルフをやったり、お酒も飲んだり、あちこちのお店で人気の先生。めちゃくちゃなハシゴをする人で『あした、書く物があるんじゃないですか?』と言うと、ビルの隙間にお逃げになるんです。私は追いかけて傷だらけになったことがあるんです。いま、懐かしく思います。生きるのに一生懸命だったと思います」と伝えた。

 一方、タレントの中川は、友人が働いている銀座の飲食店で会ったことがきっかけとなり「そこからかわいがっていただいて、カラオケに行ったりして、『怪物くん』の歌を歌っていました。一緒にモーニング娘。のコンサートにも行ったこともありました。飲むこと遊ぶことに全力投球するので、かっこいい背中だなと感じました」と涙目で語った。

 王氏は「ゴルフ場でよくお会いしました」とし、「僕から見たら常に夢を追いかけた人で、『いい人生を歩まれましたね』と言葉をおかけしました」、武田鉄矢は「お酒は強かったですね…夕食が終わったら1杯飲んで」と振り返った。

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