藤子さんは1934年に富山県で生まれた。1951年にデビューし、代表作『忍者ハットリくん』『怪物くん』のほか、『笑ゥせぇるすまん』『プロゴルファー猿』などを世に送り出した日本を代表する漫画家の一人。作品はテレビアニメ化、実写ドラマ化もされている。
講談社の野間省伸社長は30代のころから交流した仲で「私にとっては、国民的漫画作品の大作家というより、『楽しいおじいちゃん』『歳の離れた愉快な飲み友達』でした。出版パーティーなどで一緒になったら最後、そのまま銀座、六本木と流れて朝方までご一緒されていただくこともありました。内心、『また、会っちゃったよ…』とこっそり逃げたくなることもたまにはありましたが、気づけば次の店でした」と苦笑い。
思い出の一言は「『仕事は小学館、遊びは講談社』。安孫子さんはパーティーでのあいさつの際、こんなフレーズを悪びれもせず好んで披露しました」とし、「『遊びは講談社』だなんて、最高の褒め言葉です」と打ち明けた。
漫画家からは「アビちゃんと、又、飲み明かしたいな(ありがとう)」(ちばてつや)、「ゴルフとお酒とジョークで出来ていたアビちゃん先生!! また、いつの日か…お供したいです」(永井豪)、「40数年前『釣りバカ日誌』が始まった時、ヨカッタネとうれしそうにおっしゃってくれて…いい兄貴でした」(北見けんいち)とコメントが寄せられた。
囲み取材で漫画家の永井氏は「ゴルフに一緒に行きヘトヘトな状態で帰ろうとした時、僕の車に乗り込んで『銀座に行くぞ!』と銀座へ飲みに行ったことがありました」とし、「銀座で(店を)ハシゴするのですが、歩くスピードが半端じゃない! 12時過ぎても帰らないので、『先生、帰りましょうよ』と言うと、『人生は短いんだから寝ちゃったら損でしょ!』と。そのまま、着替えてまたゴルフに行くという。どこまでタフなんだと思いました」と振り返った。
俳優の石坂浩二は「一緒にゴルフをやったり、お酒も飲んだり、あちこちのお店で人気の先生。めちゃくちゃなハシゴをする人で『あした、書く物があるんじゃないですか?』と言うと、ビルの隙間にお逃げになるんです。私は追いかけて傷だらけになったことがあるんです。いま、懐かしく思います。生きるのに一生懸命だったと思います」と伝えた。
一方、タレントの中川は、友人が働いている銀座の飲食店で会ったことがきっかけとなり「そこからかわいがっていただいて、カラオケに行ったりして、『怪物くん』の歌を歌っていました。一緒にモーニング娘。のコンサートにも行ったこともありました。飲むこと遊ぶことに全力投球するので、かっこいい背中だなと感じました」と涙目で語った。
王氏は「ゴルフ場でよくお会いしました」とし、「僕から見たら常に夢を追いかけた人で、『いい人生を歩まれましたね』と言葉をおかけしました」、武田鉄矢は「お酒は強かったですね…夕食が終わったら1杯飲んで」と振り返った。