稲毛は時政の策略の中で、武蔵の総検校職をちらつかされ、畠山重忠の嫡男・重保(杉田雷麟)を人質にすべく誘い出す役割を担った。重保は人質になることを拒否して討ち死に。畠山も和田義盛(横田栄司)の説得にも応じず、戦に敗れ討ち死にした。
畠山を討ち取った後には義時、大江広元(栗原英雄)、八田知家(市原隼人)が密談。大江は畠山を惜しむ坂東武者たちの怒りを他の者に向けることを提案した。「罪を押しつけるというのですか」という義時に、大江は「はい」ときっぱり。続けての場面では、義時が時政に、稲毛に罪を押しつけることを提案し、時政も渋々受け入れた。
しかし、これも義時の策略。「いやだー」と叫ぶ稲毛を理不尽に打ち首にしたことで、御家人たちの心は時政から離れる結果になっていた。義時は畠山の所領の分配に姉・政子(小池栄子)を引っ張り出した。義時は政子に「これで執権殿(時政)は御家人たちの信を失いました。こたびのことは父上に政(まつりごと)から退いていただくための初めの一歩。(稲毛)重成殿はそのための捨て石」と言い切った。「小四郎、恐ろしい人になりましたね」という政子に義時は「すべて頼朝さまに教えていただいたことです」と腹をくくった表情で語った。
理不尽な争いの中、訳も分からず打ち首にされた稲毛にネットからは「今回1番の被害者」「稲毛重成のように巻き込まれて分けわからんまま殺される描写はキッツい…」と同情票が集まった。また「稲毛重成は滅んだがスーパーいなげやとして名前が残る。」と関東地区で展開する「いなげや」にも注目が集まった。「いなげや」の公式ページには「店名は鎌倉時代に(創業者の猿渡)波蔵の出生地一帯を統治していた豪族、稲毛三郎重成侯にあやかったものです。」と記されている。