挑戦し続けるスケーター・浅田真央の信念「今しかできないことを全力でやり抜く」<初耳学>

プロスケーターの浅田真央さんが、9月11日放送の「日曜日の初耳学」(MBS/TBS系)内の「インタビュアー林修」コーナーに登場。日本中を感動の渦に巻き込んだ2度のオリンピックのさなかに感じていた思い、そして今現在の情熱を率直に打ち明けた。

■「銀メダルが取れてよかったな」

5歳でスケートを始め、ストイックな競技生活を送ってきた浅田さん。林先生から「一日にどれくらい練習されていたんですか?」と聞かれると、「子どもの時は朝5時とかにリンクに行って、貸し切りで1時間半とか滑ってから学校に行って。学校が終わったらそのままリンクに行って、昼3時から長い時は夜11時くらいまで練習していました」と、驚きのスケジュールを打ち明けた。

2005年、初出場したグランプリファイナルで初優勝して以降、美しいスケーティングとチャーミングなキャラクターで国民に愛され続けてきた。そんなスケート人生のターニングポイントを問われると「バンクーバーのオリンピックでメダルが取れたことは、人生においても良かったことの一つかなと思います」と回想。

「(メダルが)決定した時は、私自身も自分が満足できる完璧な演技で終えることができなかったのでとても悔しい気持ちだったんですけど、表彰台に上がって、たくさんの方からおめでとうの声が聞こえたり、たくさんの笑顔を見た時に、銀メダルでも良かったんだと思いました。そして、母に銀メダルをかけてあげた時に『良かったね』と言ってくれたので、頑張ってきて良かったなと思いましたし、銀メダルが取れて良かったなと思いました」と率直に語った。

■ソチ五輪、フリーの朝に姉と…

ずっと支えてくれた母の言葉もきっかけとなり、納得できた銀メダル。その4年後のソチオリンピックでは、姉・浅田舞の存在を強く感じる出来事もあった。

ショートプログラム16位と出遅れた翌日。フリープログラムに臨む朝に、姉から電話があった。「頑張って。楽しんで」と声を掛けられたという。その時の感情について「その時、本当にムカついて…(笑)。『楽しんでできるもんじゃないよ』って姉に強く言ったのは覚えています」と打ち明けた。

だが、そのやり取りが気持ちを切り替えるきっかけになった。「ずっと一人で悔しい気持ち、不安な気持ちを心の中にずっとしまい込んでいたので、姉が言ってくれたことに対して私が強く言い返せたことで、自分の気持ちを強く持ち直せたので、本当に姉にも感謝しています」と笑顔で振り返る。実際、フリーではすべてのジャンプを成功させ、圧巻のスケーティングで世界を魅了。自己最高得点をたたき出し、6位入賞を果たした。

■何がしたいのか分からなくなった時は…

2017年に現役を引退し、今はアイスショーに取り組んでいる。出演だけでなく、演出や振り付け、選曲、出演者のオーディションに至るまですべて自ら行う。「とっても楽しいです。自分が心から滑りたいって思えているから」と語る表情も晴れやかだ。

だが、引退直後には目標を見つけられず悩んだ日々もあったという。林先生が「好きなもの、打ち込めるものが見つけられないという方もいらっしゃる」と投げ掛けると、浅田さんは「もし目標が見つからない人がいるのであれば、焦らずに時を待つことが一番なのかなと思います。私も、何がしたいのか分からなくなった時があったんですけど、焦らず自分の心が動くまま待とうと思いました」としみじみ。

そして今、アイスショーという新たなやりがいに打ち込んでいる。「やりたいと思った時にできないのが人生で一番後悔すると思うので、“今しかできないことを全力でやり抜く”っていうのが一番大切にしていることです」と力強く語り、インタビューを締めくくった。

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